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東京地方裁判所 昭和28年(行)36号 判決 1957年2月28日

原告 正栄山妙行寺

被告 東京都台東税務事務所長

主文

被告が原告に対し別紙目録一、記載の建物の内同目録二、記載の部分についてなした昭和二十七年度分及び昭和二十八年度分各固定資産税賦課処分は、いずれも、これを取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決を求め、その請求の原因として次のとおり陳述した。

一、原告は日蓮上人の教を奉ずる宗教法人であり、別紙目録一、記載の庫裡を所有し、住職中村日応が代表役員として寺院を管理運営している。

二、被告は右庫裡中別紙目録二、記載の部分二四坪二合五勺につき固定資産税を課する方針を樹て、

イ、昭和二十七年度分固定資産税として二、六五〇円を課する旨の決定をなして同年十二月二十日これを原告に通知し、

ロ、昭和二十八年度分固定資産税として二、六五〇円を課する旨の決定を同年五月二十七日原告に通知した。しかし右の庫裡部分は固定資産税の対象とならないことは宗教法人法及び地方税法第三四八条第二項第二号(現行第三号―以下同じ)の解釈上明らかであるから、右の課税処分はいずれも違法である。よつて、その取消を求める。

三、被告の解釈に対する反論

被告は本件庫裡部分は住職中村日応及びその家族の私生活の場所であるとし、宗教法人が専らその本来の用に供する建物には該らないと主張する。しかし、仏教寺院は仏法僧の三宝の安置される所で、住職と寺院とは全く不可分のものであり、原告寺が住職中村日応を代表役員として本堂庫裡の管理を託したのは、三宝護持の為めには住職に寝泊りして貰わなければならないからであつて、庫裡の一部を住職に貸し付けて私生活を送らせているのではない。住職は一日二十四時間を総て宗教生活に捧げているのであつて、その生活に公私の別はない。又被告は寺院の台所、便所、浴室、寝所等をもつて全面的に私生活の場所であるとしているが、元来寝食その他日常生活をなすに一定の場所をもつてすることは、人間の生活規律上必然の結果であつて、自己の生活の一切を仏道の目的のために捧げる者にとつては、これらの場所もそのまま仏法修行の場所であり、古来悉く七堂伽藍の内に含まれていて、これが私生活の場所であると考えられたことは未だ嘗てなかつた。

原告寺住職は妻及びその母と同居し、共に本件庫裡部分を使用しているが、右両名とも住職の従属者として原告寺の広大な境内地並びに堂宇の清掃、檀信徒の世話指導その他日常の用務を弁じて法燈の護持に協力して居り、住職を措いて他に生涯を託する人のない因縁の者である。被告は右両名は住職の家族であり、本件庫裡部分は住職及びその家族が私生活を営む場であるから、専ら原告寺の目的に供する場所でないと主張するが、僧侶の家族が同居していない寺院でも従属者を置いているのであり、国法は僧侶が婚姻生活をすることを禁じていないのであるから、原告寺の住職及びその従属者たる家族が本件庫裡部分を原告寺の目的以外の用途に使用していない限り、これをこれらのものの私生活の為めに使用するものと断定することはできない。もちろん住職も従属者も人間である以上、その日常生活のための家財道具を所持するのは当然であり、宗教法人法も宗教活動に従事する者が人間として生存することを否定するものでないことは明らかであるから、寺院内に家財道具を置くことが宗教活動の範囲外であると言うことはできない。

被告は、法は機械的、劃一的に規律するのが立法上の建前であるから、宗教法人の宗教活動も結局外面的な観察、調査による外ないのであつて、外形上宗教上の儀式行事とか信者の教化育成等の宗教目的に専用されることが宗教法人本来の目的に沿う用法である、と主張する。しかし、宗教法人法第一条第二項は、信教の自由は総ての国政において尊重されるべきことを命じ、同法の規定の解釈に藉口して宗教法人の活動を制約することを禁じて居り、地方税法第三四八条第二項第二号の改正も宗教法人法附則の規定によつて行われたのであるから、右改正により挿入された「もつぱら」の字句も、宗教法人の宗教活動を制約するように解釈されてはならないのである。そして原告寺の住職並びにその家族は本件庫裡部分を専ら原告寺の宗教活動のために使用しているものであり、ただその自然人としての生活維持の為め家財道具を置いてあるに過ぎないことは前記のとおりであるから、その外形のみを捉えて宗教活動か否かを断定しようとする被告の解釈論は、まさに宗教法人法の趣旨に反するものである。

四、本件訴の提起については、訴願の裁決を経ないことにつき正当な事由がある。

(一)  東京都主税局課税課長は被告を含む各税務事務所長宛に昭和二十七年六月二十八日「宗教法人に係る固定資産税の非課税取扱について」と題する通牒を発し、一般に寺院の住職妻子等の庫裡内の生活は私生活であつて寺院本来の用に供していないから、右部分については固定資産税を課すべき旨の根本方針を指示した。原告寺を含む東京都仏教団は直ちに反対運動を開始し、同年八月二十三日東京都総務局及び主税局に陳情書を提出したのであるが、各税務事務所長はこれを無視して都下各寺院に対し一齊に前記通牒通りの課税方針を立て、固定資産税課税額の台帳縦覧期間を同年十月二十日迄と定めたので、原告寺は被告に対し同月二十五日異議申立の為め審査請求書を提出し、更に東京都仏教団も東京都知事に対し同月二十七日右課税に反対する旨の陳情書を提出した上、東京都主税局長等に会見して陳情の主旨を説明した。

このように原告及び東京都仏教団は本件課税処分前既に東京都知事に対し反対の陳情を繰り返しているにも拘らず本件課税処分がなされたものであり、東京都知事に対し熟慮再考の機会は既に十分提供したのであるから、重ねて訴願をしてもその結果に何等の期待も持てない。従つて原告はかかる無駄な手続を経ず直ちに出訴し得るものと言うべきである。

(二)  被告は本訴提起の前提要件として地方税法第三七〇条第一項による異議申立をなすべきことを主張するが、同条の異議は同法第四三二条による審査請求手続を経てなすべきものであるところ、被告は原告のなした前記昭和二十七年十月二十五日の審査請求に対し何等の決定をなさず、これを待つときは行政事件訴訟特例法第五条第一項の出訴期間を経過する危険がある。従つてかかる場合には訴願手続を経ないで出訴すべき正当事由が存在する。

(三)  前記のとおり宗教法人法第一条は行政庁の処分が宗教法人の宗教活動を制限することを禁じているのであるから、本件につき訴願前置を強要することは地方税法第三七〇条第一項第四三二条の解釈に名を藉りて宗教法人法第一条の根本精神を蹂みにじる結果となる。従つて宗教法人たる原告が宗教活動上加えられた制約を除去することを求める本訴請求の場合には、直ちに出訴する正当な理由があると言うべきである。

第二、被告指定代理人は次のとおり陳述した。

一、原告は、本件固定資産税の賦課について不服があれば、地方税法第七三四条第一項及び第三七〇条の規定により、東京都知事に対し異議の申立をすることができるにも拘らず、何等正当の理由もなく右の手続を経ないで本件訴を提起したものであるから、本件訴の提起は行政事件訴訟特例法第二条に違反し不適法である。よつて、まず「本件訴を却下する。」との判決を求める。

原告が訴願裁決を経ないことについての正当事由として主張する事実中、東京都主税局課税課長が昭和二十七年六月二十八日附各税務事務所長宛通牒を発したこと及び東京都仏教団が東京都知事に対し陳情書を提出したことは認めるが、原告が前記通牒の内容として主張する事実は否認する。その余の原告主張事実は不知である。

なお原告は地方税法第三七〇条第一項による異議の申立をするには、先ず同条同項但書の規定により同法第四三二条所定の審査の請求をすべきことを前提として論じているが、原告は本件固定資産税の税額の多少を争うのではなく、本件庫裡部分が非課税であることを主張するものであるところ、同法第四二三条及び第四三二条により固定資産評価審査委員会に対して審査の請求をなし得る事項は、固定資産の評価に関するものに限るのであつて、同委員会は固定資産が非課税であるべきか否かについては審査権を有しないのである。従つて原告としては右審査の請求を要せず、同法第三七〇条第一項本文所定の異議の申立をなすべく、かつこれをもつて足りるものであることは、右各法条の規定の趣旨からみて明白である。

又原告は、東京都主税局も被告も庫裡に対する課税方針を断行する意図が明らかであつたので、本件課税について異議の申立をしてもその結果は自明であり、異議の申立をしても無駄であるから直ちに出訴した旨主張するが、東京都主税局が庫裡に対しては総て課税すると言う方針を決定した事実はなく、庫裡に対し非課税の取扱を受けた寺院は都内に多数ある。従つて、異議の申立をしても、それに対する決定の内容が予じめ判つているから無駄であるという主張は全く失当である。

二、本案について「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求める。原告が第一、の一、及び二、において主張する事実は全部認める。

本件課税の対象となつた庫裡の部分は、総て原告寺の住職及びその家族の日常の起居の室その他に使用されており、住職及び家族専用の部分である。ところで、本件庫裡部分が固定資産税について非課税であるためには、地方税法第三四八条第二項第二号に該当しなければならないが、右の規定にいう「宗教法人がもつぱらその本来の用に供する建物」の意味は、先ず建物が当該宗教団体の沿革及び性格等からみて本質上本来の宗教目的に使用されるべき性質のものであり、かつ現実の使用状況からみても専ら宗教目的に使用されている場合を謂うのである。

ところが本件庫裡部分の使用状況をみると、昔時仏道の勉学修行に専念する僧侶のために必要であつたところの厨房として庫裡本来の用途に供されているものでないことはもちろん、その他原告寺の儀式、行事とか信者の教化のための用に供されているのでもなく、実情は全く住職家族の私生活の場所として専用されているのであつて、その使用方法は他の一般納税義務者の場合と何等異るところがない。

原告は、原告寺の住職及びその従属者にとつては一日二十四時間が全部宗教的生活であつて、私生活という如きものは存在せず、従つて本堂も庫裡も共に仏法修行、信徒教化の場所であり、私生活の場所というものも存在しない旨主張する。

なるほど宗教家にとつては宗教的生活を離れて別に私生活も私生活の場所もないであろう。しかし、それはあくまで宗教家の精神的内面的な相なのであつて、その意味でならば、独り住職に限らず在家在俗の信者であつても行住坐臥総て仏法仏行であり、私生活の場所である居住家屋も総て仏法修行の場所であると言える場合もあろう。

しかしながら、人の精神的内面的世界の真相を一般人が外部から観察して知ることは殆んど不可能なことであり、殊に税の賦課徴収(非課税扱いの問題も含めて)に関しては、法は機械的、劃一的に規律することが立法上の建前であること等の点からすれば、地方税法第三四八条第二項第二号に該当するか否かの具体的判断も結局、外面的な観察調査による外ないのであつて、右の規定に該当する建物とは、大体において、外形観察上宗教上の儀式行事又は信者の教化育成等の宗教目的に専用されることの明らかな場所であると言うことになる。かかる解釈が正しいことは、右の規定と類似の趣旨の同項第八号、第九号、第九号の二の各規定中には「もつぱら」の語が用いられていないこと及び宗教法人法の規定の趣旨によつても了解し得よう。

ところで、庫裡と言えば寺院のみの有する独特の施設であるような感じを与えるが、少なくとも現在においては、多くの庫裡は単に住職及びその家族の居間として用いられているのが普通であつて、その意味では寺院に必要不可欠のものではないものが多い。庫裡の位置が本堂に接続しているものが多いのも、古来の寺院の建築様式を受け継いでいるだけのことで、特別の意味はないのである。もつとも、寺院は元来仏道の修学修行の道場であるが、庫裡は本堂その他の施設と共に寺院の構成部分をなし、往時においては供養のものや寺僧の食事等を調理する台所として使用され、しかも世俗の台所と異り、一つの修行の場所とされていた。そして、仏教の諸宗(浄土真宗を除く)においては、僧は仏道修行と教化に専念する出家の身として、在家在俗の者と異なり肉食妻帯は厳重に禁止されていたから、僧侶が寺院内に公然と妻子等の家族を帯して同居する居間などは全く存在しなかつた。ところが、仏教の教えるとおりの修行をすることの困難となつた現代においては、僧侶の肉食妻帯は公然と認められるようになり、それが普通一般のこととなつた結果、庫裡の意味も前記の本来の目的を離れ、住職や家族の居間としての意味に転化するに至つた。

従つて現在においては、少なくとも外形上は庫裡も一般人の居所と何等異なるところがないのであつて、その意味で私生活の場所とも観念されるのであり、前記のように宗教目的に専用の場所であり、宗教団体としての寺院の本質上必要不可欠なものであるとは、みられない場合が多いのである。本件庫裡部分についても、正に右の意味において住職及びその家族の起居の室即ち私生活の場所と認めるべきものであつて、原告からみれば全く皮相浅薄な観察と言うことになるであろうが、外形主義的劃一的な法律適用の面と宗教家の内面的精神生活の面とが調和を欠いても、やむを得ないことである。

(立証省略)

理由

本訴提起が訴願の裁決を経ない不適法なものであるとの被告の主張に対し、原告は訴願の裁決を経ないことにつき正当な事由があると主張するので、先ずこの点について判断する。

証人栗本俊道の証言により成立を認める甲第一号証(「寺院庫裡課税の問題について」と題する東京仏教団名義の報告書)、原本の存在並びに成立について争いのない甲第二号証(審査請求書)、成立に争いのない甲第四号証の一(陳情書)の各記載に証人栗本俊道並びに同大崎栄吉の各証言及び原告寺代表者本人尋問の結果の各一部を総合すると、次の事実を認めることができる。

昭和二十六年法律第一二六号宗教法人法附則第二七項により、地方税法第三四八条第二項第二号(昭和二十八年法律第二〇二号により同条同項第三号に繰り下げられた)の「宗教法人がその本来の用に供する…………境内建物及び境内地」との文言が「宗教法人がもつぱらその本来の用に供する…………」と改正され(右の事実は公知の事実である)、東京都主税局においては、一般に寺院の住職及びその家族が私生活を営む場所たる庫裡は寺院がもつぱらその本来の用に供する建物には該当しないから、庫裡は右の改正により固定資産税の非課税の対象から除外されたものと解釈し、そのように取り扱うべきことを都下各税務事務所長宛通牒したので、原告寺を含む東京都下仏教寺院の連絡機関である東京仏教団は、昭和二十七年七月四日主税局係官と会談したが意見の一致をみず、同年八月六日には各税務事務所長に対して寺院非課税の陳情を行い、同月二十三日には主税局係官に陳情書を提出したが、主税局から各税務事務所長に対し各寺院につき戸別に固定資産の調査をなすべきことを指令し、その結果同年十月には都下の多数の寺院の庫裡が固定資産課税台帳に登録されるに至つた。そこで右台帳に登録された寺院は同月二十五日一齊に各管轄税務事務所長に対し審査請求書を提出して右の課税に対する不服の意思表示をなし、更に翌日東京仏教団は東京都知事に対して陳情書を提出し、主税局長以下の担当係官と会見して陳情の趣旨を説明したが、都知事も被告も当初の解釈と課税方針を変更することなく、遂に被告は原告寺に対しても昭和二十七年度分固定資産税の徴税令書を送達するに至つた。そして被告は昭和二十八年度分についても同様の方針で課税処分を行つたが、その後地方自治庁長官から都道府県知事宛寺院の庫裡に対しては原則として固定資産税の課税をしないよう取り扱うべき旨の通達がなされるに及んで、東京都主税局においても漸く従来の方針を改めて各税務事務所長に対し昭和二十九年度以後寺院の庫裡に対しては固定資産税を賦課しないよう通牒を発するに至つた。

右認定の諸事実によつてみるときは、東京都知事及び被告は昭和二十七年七月頃から昭和二十八年度末に至る迄一貫して寺院の庫裡に対しては原則として固定資産税を賦課する方針を堅持し、原告寺及びその所属団体たる東京仏教団の累次に亘る反対陳情にも拘らずその方針を改めなかつたのであるから、原告寺が本訴において右の陳情と同一の理由に基いて本件課税処分の取消を訴求するに先立つて訴願をしても、その結果被告が前記の課税方針を変更することは全く期待できなかつたと言うべきである。のみならず証人緑川誠治の証言によれば、被告は昭和二十七年七月末から八月上旬にかけて原告寺の建物を実地につき調査した結果、別紙目録記載の部分を原告寺の住職並びにその家族の私生活のための場所と認定し、本件課税処分に及んだ事実を認めることができるから、訴願の経由により被告が本件庫裡部分に対する固定資産税課税の方針を変更することもまた全く期待できなかつたと言うべきである。従つて原告寺としてはかかる無益な訴願手続(原告は本訴については地方税法第四三二条所定の審査請求と同法第三七〇条第一項所定の異議申立の両手続を経由することを要すると主張するが、本訴については被告の主張するとおり後者の手続のみが行政事件訴訟特例法第二条にいう訴願に当ると解するのが正当である)を経ることなく直ちに本訴を提起するにつき同条但書所定の正当な事由があるものと解すべく、被告の本案前の抗弁は理由がないと言わなければならない。

そこで進んで本件各課税処分の効力について判断する。庫裡その他の寺院の境内建物が固定資産税の課税対象から除外されるためには、当該寺院が宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成する目的のために必要な、当該寺院に固有の建物又は工作物であることを必要とし、かつ、現実に当該寺院がもつぱらその本来の用に供しているものであることを要することは、地方税法(本件に適用されるべき昭和二十六年法律第一二六号による改正後、昭和二十八年法律第二〇二号による改正前のもの。以下単に地方税法と称する。)第三四八条第二項第二号宗教法人法第三条第二条の規定によつて明らかである。被告は、寺院の庫裡は昔時仏道の勉学修行に専念する僧侶のための厨房として使用されたのであるから、かかる使用方法のみがその本来の用途であるかのごとく主張するが、寺院の本堂と言い庫裡と言い山門と言うのも、何れも古来仏教の布教護持のために必要な建物として建築されているものであつて、歴史の流れと共にその具体的使用方法に変更があつても、仏教の布教護持以外の目的のために使用するのでなければ、依然として仏教固有のものとして、その布教護持のために必要な建物であると言うべきである。寺院の庫裡の多くは現在においては住職及びその家族の日常生活のための場所として使用されて居り、右は公知の事実であるが、多くの中小寺院においては、住職が自ら堂宇及び境内地の管理に当るために庫裡に起居する必要があり、又現代における我が国の仏教界は僧侶の妻帯を禁じていないのであるから、住職等の日常生活の用に供されている庫裡は、住職が特にこれを他の目的のための用に供しない限り、寺院の管理のために起居しているものとみるべく、又住職の家族も、特にこれを他の目的のための用に供しない限り、住職の寺院管理の補助者として起居を共にするものと解するのを相当とする。従つて、その限りにおいては、現時の寺院の庫裡が寺院の宗教目的のために必要でないと言うことはできない。

次に被告は本件庫裡部分がもつぱら原告寺の本来の用に供されていないと主張するが、原告寺の本来の用とは即ち仏教の教義をひろめ、原告寺の儀式行事を行い、信者を教化育成するための用法を意味するのであつて、原告寺の住職は、同人が特に本件庫裡を他の目的のための用に供していない限り、右の目的のもとに寺院を管理するために起居しているものと言うべく、住職の家族も特にこれを他の目的のための用に供しない限り、住職と同一目的のもとにその寺院管理の補助者として起居を共にしているとみるべきである。被告は、地方税法第三四八条第二項各号の規定において「もつぱら」の字句を用いているのは第二号のみであり、第八号(現行第九号)第九号(現行第一〇号)及び第九号の二(現行第一一号)はいずれも「もつぱら」の字句を使用していないから、第二号は特に厳格に解すべきであると主張するが、右第八号に言う「直接」の字義は「もつぱら」と同一に解することができ、第九号にこれらの文字がないのは、同号掲記の施設が何れも常時担当官庁の監督を受け、営利を図る行為のあつたときはその事業の停止又は認可の取消をなし得る等、強力な行政監督の措置が講じられていてそれが同時に脱税防止の役割を果たすから、特に「直接」又は「もつぱら」の字句を附して非課税対象を限定する立法上の必要がなかつたからにほかならない。又第九号の二の「直接その本来の事業の用に供する」とは、第二号の「もつぱらその本来の用に供する」と全く同じ意味であると言うべく、特に「もつぱら」と「直接」とを使い分けたとみる余地は全くない。

宗教法人法第一八条第五項は、代表役員及び責任役員がその保護管理する財産を他の目的に使用することを禁じており、ただ同法第六条が、宗教法人が公益事業及び「その目的に反しない限り」公益事業以外の事業を行うことをも認めているに止まる。従つて地方税法第三四八条第二項第二号の言う「もつぱらその本来の用に供する」とは、宗教法人の役員が他の目的に使用する場合はもちろん、宗教法人法第六条所定の事業の用に供する場合も含まれないことを明らかにした意味を有するに止まると解すべきである。なお、仏教寺院の庫裡のみならず、庫裡と同様な用途に使用されている他の宗教法人の建物についても、庫裡と同様な取扱がなされるべきである。従つて、寺院の庫裡を非課税の対象とすることは、当該寺院又は仏教寺院のみが国から特権を受けることにはならない。

ところで本件においては、原告寺住職中村日応及びその家族が本件庫裡部分を衣食住のための日常生活の場所として使用していることは、弁論の全趣旨に照らし当事者間に争いのないところと言うべく、又証人田辺三五郎、同堤鶴吉、同米溪辰四郎及び同緑川誠治の各証言、原告寺代表者本人尋問の結果並びに検証の結果の各一部を綜合すると、中村日応は昭和二十七年度及び昭和二十八年度においては主としてその二人の家族の補助を受けて原告寺の堂宇境内地等の運営維持保護に当り、本件庫裡部分の全部又は一部を貸家貸間又は貸席等として利用したことはなく、その他原告寺、中村日応又はその家族が他の目的のために使用した事実もないことを認めることができる。そして右の事実によれば、原告寺は本件庫裡部分をその宗教目的のためにその固有の建物として必要とし、かつ現にもつぱらその本来の用に供していると言うべきであつて、本件庫裡部分が地方税法第三四八条第二項第二号に該当しないとの被告の主張は理由がない。

従つて本件各課税処分はいずれも違法であつて取消を免れないから、原告の本訴請求を認容し、訴訟費用は民事訴訟法第八九条により被告に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤完爾 入山実 大和勇美)

(別紙省略)

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